エチュード 作品65(スクリャービン) [スクリャービン]
今年2015年は、ロシアの作曲家スクリャービンの没後100年
なのですが、うーん、いまいち盛り上がってないなあ。
まあ、モーツァルトやショパンと違って、
作風は、最初と最後では、すごく違うし、
後期の作品は、神秘和音など、ちょっととっつきにくいのも事実です。
でも初期~中期の作品はも聴きやすいし、
ピアノの能力を最大にいかした曲も多いですね
私もとっても好きです。
でも、今日は、スクリャービンの中でも、
ちょっと、あまり聞かれない曲を紹介しよう。
今日の音楽日記は、
スクリャービン作曲 練習曲作品65 の3曲です。
この曲、神秘主義といわれる時期の作品です。
なので、けっして、聴きやすくはないのですが、
どの曲も、独特の魅力を持っています。
第1曲
右手の旋律は、オクターブ(8度)ではなく、
ずっと9度で弾かれます。
ハイ、この時点で、私のような小さな手では、演奏が無理ですね。
普通だと、不協和で音が濁った感じで聴こえそうなのだけど、
なぜか、この曲、結構、気持よく聞こえます
不思議です。
第2曲
右手の旋律は、オクターブ(8度)ではなく、
ずっと7度で弾かれます。
この時点で、フラットの多い譜面をすぐ読めない私は演奏が無理ですね(笑)
普通だと、不協和で音が濁った感じで聴こえそうなのだけど、
なぜか、この曲、結構、情緒ある美しい曲に聴こえます。
不思議です。
というより、すごく短い曲なので、曲にひたっている暇がないかも・・・
第3曲
この練習曲は、情熱的な練習曲で、和声も独特です。
スクリャービンのソナタ第5番を弾きたいけど、まったく手がでないという人は、
この曲を練習するのはどうでしょうか(笑)
さて、この作品65の3曲の練習曲は、どれも短いので、
スクリャービンの神秘主義の時期の曲を手軽に聞こうと思う人にお勧めです。
まあ、短いけど、3曲通して聴くと、なかなか面白い曲達です。
さてさて、たまには、ピアノの演奏会聞きに行きたいなあ。
スクリャービンでもいくか。
ピアノソナタ第3番(スクリャービン) [スクリャービン]
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、この音楽日記、年明けのいくつかの記事は、その年が記念の年となっている
作曲者の曲を書くのが、ここ数年続いているので、今年もそれでいこう。
2015年は、まず、なんといっても、ロシアの作曲家スクリャービンの没後100年
にあたります。
今年は、この作曲家の曲が多く聴けるかもしれません。
とはいえ、初期の作品は、ロマン風で、とっつきやすいのですが、
途中から、神秘和音など、独特な世界に入っていくので、
なかなか、すべての作品がとっつきやすいわけではありません。
初期の練習曲作品8-12や、ピアノ協奏曲などは、とっても聴きやすい曲です。
しかし、後期のピアノソナタ第7 第8 第9 などは、とってもわかりにくい
でも、はまれば、なんか面白い曲に聞こえるので不思議です。
この音楽日記でも、スクリャービンの曲は、結構多く書いています。
さて、スクリャービンのピアノソナタのお勧めは、どれですか?
という質問には、難しいです。
個人的には、ピアノソナタ第5番が、
ロマンと神秘の融合で、最高傑作だと思っています
⇒ピアノソナタ第5番の過去記事は、こちら
聴きやすさという点と人気では、ピアノソナタ第3番かなあ。
ということで、今日の音楽日記は、
スクリャービン作曲のピアノソナタ第3番です。
曲は、4つの楽章からなります。
詳しい解説は、ネットで調べてもらえばいいのですが、
最初に出る主題は、とてもとても、ロマン的な響きがします。
スケルツォ風の第2楽章
星が歌うと作曲者が言ったらしい、美しい第3楽章
半音階が特徴的な第4楽章
劇的な表現で、とても、イメージのわく音楽です。
これで興味をもった方は、
続いて、第2番や第4番を聴いていただければと思います
さてさて、2015年、今年も音楽三昧の年になると思いますが、
よろしくお願いします。
2つの詩曲 作品32 (スクリャービン) [スクリャービン]
やはり、音楽にイメージをもたせるのは好きですので、
直接的な これこれを表しています。というより、
詩曲のように、直接なにかを描写していないけど、
イメージがわく音楽が好きだ。
で、ピアノ曲で詩曲というと、やはり、
スクリャービンですね。
この音楽日記でも、
過去にスクリャービンの作品63の詩曲を書いています。
⇒過去記事はこちら
スクリャービンは、多くの詩曲を書いていますが、
この題名で、最初に書いた曲。
今日の音楽日記は、
スクリャービン作曲のピアノ独奏曲
2つの詩曲 作品32 です。
第1曲
この曲は、傑作だと思います。
旋律も和声も魅力的で、陶酔してしまいます。
特に、16分音符の上昇は、かろやかに、魅力的に
弾いているのを聞くと、ボーっとなってしまいます。
第2曲
第1番とは、まったく異なった曲想で、
3連符が、たたきつけられる曲です。
最後が、静かに終わるのも印象的です。
ただ、この第2番は、私は、
ちょっとだけ、イメージが
わかないのです。
第1曲は、単独でもよく演奏されるけど、
第2曲だけの単独演奏は ないんじゃあないかなあ。
この2曲は、セットの方がいいのかなあ。
スクリャービンのピアノ曲は、
初期は、ショパン風だし、
後期は、神秘的すぎて、よくわからないという人も多い
かもしれない。
そんな時 スクリャービンのお勧め曲としては、
詩曲 作品32-1 はうってつけだと思う。
かの名ピアニスト、ホロヴィッツも愛奏した曲です。
ショパン風でもなく、後期のわかりにくい音楽でもなく、
でも、スクリャービン独自のピアノ曲
初めて、詩曲という題名をつけたのも、自信があったのかもしれません。
ちなみに、この2曲、スクリャービンにしては、
珍しく? クロスリズムがないので、
私のような素人いいかげんピアノ弾きには、
練習しやすいですね。
(クロスリズムは、ちゃんと基本を練習すれば、
難しくないらしいのですが、いいかげんな練習では、
バラバラになってしまいますね・・・)
練習曲 作品2-1(スクリャービン) [スクリャービン]
最初に聞いた曲は、何だろう。
間違えなく、ピアノ曲の練習曲作品8-12です。(この曲の過去記事は⇒こちら)
このショパンの革命にも似た、かっこいい曲を 高校時代に聞いて、
確か、スクリャービンの練習曲数曲とピアノソナタ第5番が入った
レコード(確か、ピアノがリヒテル、メロディアレーベルだったかな)
を買って、聴いたのだけど、お目当ての作品8-12は、入っていなし、
音は、無茶苦茶悪いし、当時の私は、ピアノソナタ第5番は、
当時は、なにがなんだかわからなかった記憶があります。
(ピアノソナタ第5番の過去記事は⇒こちら)
で、その中に当時でも、とっても聴きやすくて、
あっ、この感じは、いい曲だなあ。
と思う曲があった。
それが今日の音楽日記の曲、ピアノ独奏曲、
スクリャービン作曲 練習曲 作品2-1です。
この曲、作曲者14歳の時の曲と言われています。
もちろん、スクリャービン後期のあの神秘的な感覚は皆無ですが、
ちょっと、憂いのある、感傷的な旋律が、歌われます。
それに、ちょっとロシア的でもあります。
リズムも伴奏も単純なのですが、
高校時代の私には、短い曲なのに、なぜか、とってもイメージのわく曲で、
当時、輸入の楽譜を手に入れて、
実際に、ピアノで練習しました。
この曲、スクリャービン独特の右手と左手のクロスリズムがないので
結構弾きやすいです。
それに、左手の対旋律の味付けが微妙にいい感じです。
(ちょっとだけ。左手の味付けが私には、難しいです)
スクリャービンの入門曲としてお勧めです。
そういえば、あの名ピアニスト、ホロヴィッツは、
この曲をよく、演奏会で弾いていましたね。
スクリャービンの練習曲では、
作品8-5,9,11,12
作品42-5
あたりも聴きやすいです。
ちょっと、ひねくれた人は、作品65の3つの練習曲かな(笑)
幻想曲 作品28(スクリャービン) [スクリャービン]
なぜか、別のスクリャービンのピアノ曲もちょっと聞いて、
ああ、この曲、昔好きだったなあ・・・
と思う曲があって、久々に楽譜を見ながら聴いたのですが、
あまり弾かれないけど、
スクリャービンの初期の傑作じやあないかなあ、
と勝手に思っている曲があります。
それが今日の音楽日記の曲
スクリャービン作曲のピアノ曲《幻想曲 作品28》です。
この曲、10分弱のピアノ曲ですが、
なかなか、濃い曲です。
この曲の特徴を書いてみよう。
・第一主題は、雄大です。
・第二主題は、甘いです。
(一回目の単音の所がいいなあ。再現部はオクターブで難しいです)
・で、この曲、ほとんど、両手ともオクターブが多いです
・初めて聞くと、よくわからん曲です
・映像で見るとわかるのですが、無茶苦茶難しいです。
・でも曲が見えてくると、おっと、思う曲です
この曲の作品番号は、28で、
この後、スクリャービンの作風は、どんどん変化していくのですが、
このたりの曲が、スクリャービンのロマン派の作風の中では
頂点かもしれません。
この曲、ちゃんと旋律を歌って、なおかつ、表情豊かに弾くのは至難です
でも、そういうことのできるプロのピアニストの演奏を聞くと、なかなかの曲です
かっこいい曲でもあり、重厚でもあり、歌心もあります。
是非、ピアノリサイタルには、組み込んでもらいたい曲の一つですね。
スクリャービン、最近聞かなかったので、本当に久々に聞いた。
さてさて、交響曲でも聞いてみるか・・・
追記
本当は、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番書く予定だったのだけどなあ。
ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調(スクリャービン) [スクリャービン]
パソコンの立ち上がり時間が、結構かかるようになってきたし、
このブログの更新間隔も、一週間に一回程度まで、下がってきた。
このブログの更新を期待している人もちょっとはいると思うので(本当か(笑))
もうちっょとがんばって、いろいろ書いていきたいと思っています。
けれど、音楽は、結構聞いていますよ。
で、最近は、ピアノ曲だけでなく、室内楽を多く聴いている。
それも、ピアノ三重奏曲などのピアノの入った室内楽が、
結構、マイブームなのです。
(そんなこと言ってるけど、イザイの無伴奏ヴァイオリンソナタも結構、いけてる)
でも、昔良く聴いた、ピアノ協奏曲をたまに聴くと、
結構、落ち着いた感じがして、
ピアノの技巧を楽しむというより、
なぜか、ノスタルジックな気分になる。
先日、ピアノ協奏曲を聴いて、そんな気分になった。
今日の音楽日記は、ロシアの作曲家スクリャービンのピアノ協奏曲です。
スクリャービンというと、神秘和音などのとても、不思議な感覚のピアノ曲の方が、
評価されているし、それは、それで、とても面白いのだけど、
初期の作品は、聴きやすく、ピアノ好きには、たまらない作品が結構ある。
このピアノ協奏曲も、その一つだろう。
第1楽章の息の長い甘い旋律と、ロシア風の展開。
第2楽章の右手16分音符の叙情
第3楽章の若き情熱
いやいや、深みとか、深淵とかはないけれど、
そして、ちょっとだけ、管弦楽の書法が薄いかなあ、とも思いところもあるけど、
ロシアの叙情に浸るには、ぴったりの気持ちいい、美しいピアノ協奏曲だ。
昔は、この曲のピアノの技巧的な部分ばかり聴いていて、
そんなに派手な技巧を使っているわけではないので、
なんか、つまんなかったと思った時もあったけど、
歳をとって、落ち着いて聴くと、本当に懐かしい感じがする、ピアノ協奏曲だ。
今でこそ、いろいろなピアニストの演奏で、聴けるけど、
昔は、アシュケナージのレコードしかなかったような気がする。
この演奏が、なんとなく、美しくて、いいんだなあ。
この曲は、バリバリ弾くのは、合わないかな・・・
たまには、ピアノ協奏曲もいいもんだ。
さてさて、この音楽日記、なるべく、更新まめにしたいなあ・・・・
2つの詩曲 作品69 (スクリャービン) [スクリャービン]
クラッシック音楽の曲の中で、最も有名な詩曲という題名の曲は、
ショーソンのヴァイオリンと管弦楽の為の曲だろう。
詩曲というイメージから受ける感覚そのままに、
とても美しく、叙情的で、すばらしい曲だ。
しかし、ちょっと待ってもらいたい。
詩(ポエム)というのは、美しいイメージだけだろうか?
いろいろな感情が、それこそ、言葉によって、多彩に表現され、
時には、美しく、
時には、暴力的に、
時には、楽しく、
時には、悲しく・・・・
直接的であれ、間接的であれ、いろいろなイメージを持っている。
詩曲(ポエム)という題名のピアノ曲を
ロシアの作曲家スクリャービンは、数多く書いている。
それらの曲は、単に美しいだけでなく、
いろいろなイメージを表現した、多彩な曲達だ。
さて、そんな中から、何を書こうかなあ・・・
作品32の【2つの詩曲】もいいし、
作品34の【悲劇的詩曲】なんか、知られざる名曲だし、
作品64の【詩曲夜想曲】知ってますか?
そして、傑作の【詩曲 炎の向かって】などなど・・・
そんな中、今日の音楽日記は、スクリャービン作曲のピアノ曲
【2つの詩曲 作品69】です。
スクリャービンは、よく知られているように、
初期の作品は、ショパン風の曲だったが、
後半になると、独特の和声(神秘和音など)と独特のリズム
そして、トリルの多用など、ちょっと、聴きにくい曲が増えてくるが、
この後期の作品郡には、とてもとても、味がある。
さて、【2つの詩曲 作品69】である。
すでに、後期の作風に入ったスクリャービンのピアノ曲で、
確かに、一回聴いただけでは、なんだかわからないかも知れない。
ただ、なんと言おうか、夜一人で、ゆっくりと、音を聴いてもらいたい。
心の中まて、音が、無限に広がるような気がする。
第1曲
すごく神秘的な音楽です。
何カ所か高音の単音のパッセージが印象的に響き、
無限の広さを感じる。
第2曲
32分音符の速い上昇和声が、頭の中に入ってくる。
途中、飛び跳ねる感じのパッセージがあやしい。
この詩曲は、別に、神秘和音の構造がどうだとか、
主題の分析とか、そんなことは、しない方がいい。
純粋に、イメージの世界に入った方が、楽しめると思う。
ちょっと、無名な曲ですが、私の中では、傑作だと思っています
追記
詩というと、なぜか、萩原朔太郎の「月に吠える」が頭に浮かぶ。
中学校の時だったか、読んで、結構強烈に印象に残ってます。ハイ
ピアノソナタ第7番【白ミサ】(スクリャービン) [スクリャービン]
今日(3/14)は、何の日でしょう?
テレマンの誕生日という人は、少ないだろう。
(というより、いないですよね(笑))
(しかし、この音楽日記を読んでる人は、テレマンは、知っていますよね えっ)
そんなことは、さておき、
そう、今日は、ホワイトデーである。
お菓子屋さんの販売戦略?にまんまとのって、最近は定着してきたなあ。
とは言っても、かみさんと娘には、ちゃんと、何かをプレゼントしないと、
これがまた、あとで、いろいろと・・・ははは
まあ、バレンタインデーもそれなりにもらったし、
今日は、一応、ちゃんとプレゼントを買って、
かみさんと娘にプレゼントを贈った、みどりのこびとちゃんだったのである。
でも、バレンタインデーは、チョコレートというプレゼントの定番があるのに、
最近、ホワイトデーは、なんか、プレゼントの種類が多くないか?
チョコレートのお返しなんだから同等のものでいいじゃあないか(と声を大にして言おう)
なんで、チョコレート以外になんか買わなくちゃあいけないんだ・・・ブツブツ
それにそれに・・・ぶつぶつ
おっと、これは、音楽日記だ。話は、もとにもどそう。
今日は、ホワイトデーにちなんで、白にちなんだ曲を書こうと思った。
いろいろあったが、なぜか最初に思ったのがこの曲
ホワイトデーの華やかな雰囲気には、まったく合わない曲
スクリャービン作曲の【ピアノソナタ第7番 白ミサ】である。
ところで、ミサってなんだろう?
カトリック教会の典礼儀式らしい。
うーん、よくわからないなあ
さて、スクリャービンの【ピアノソナタ第7番 白ミサ】である。
スクリャービンは、この曲を「聖なるソナタ」という意味で、「白ミサ」と命名したらしい。
この曲、決して万人向けではないし、
私だって、いつも聴きたいとは思わない。
しかし、このピアノソナタの多彩な音色は、すばらしい。
全然曲想は違うが、
ドビュッシーの喜びの島と同じようにピアノの色彩感がある曲だと思う。
楽譜の所々に、
「神秘的に・・・」「天上の官能・・・」「純粋な甘美・・・」等の指示があるが、
実際よくわからない。
私は、スクリャービンの後期ソナタは、自分のイメージで聴く方が好きだ。
もちろん第一主題をちゃんと聞き取り、和声を楽譜から読むこともするが
やっぱりこういう音楽は、感覚だなあ・・・
宇宙空間をイメージしたり、
昔を思い出したり
映画や小節の一部分を考えたり
そういう聴き方が好きだ。
でもね、ホワイトデーのプレゼントで喜んでいる、かみさんと娘の顔を思いながら、
夜、一人でパソコンに向かいブログを書きながら、
スクリャービンのピアノソナタ第7番を聴くのは、
ちょっと、違和感あるなあ・・・でも幸せ(笑)
ピアノソナタ 第8番(スクリャービン) [スクリャービン]
さて、過去記事へのコメントは、歓迎です。
先日、過去記事のスクリャービンのピアノソナタ第5番の記事にコメントが付いていた。
そのコメントの中で、この作曲家のピアノソナタ第8番に触れていたので、
本当に久々にこの曲を聴いた。(それまで、ほとんど忘れていましたね・・・)
ということで、今日の音楽日記は、ロシアの作曲家スクリャービンの作曲した
【ピアノソナタ 第8番】である。
スクリャービンと言うと、なにを思い浮かべるだろうか?
初期のショパン風音楽・神秘和音・複合リズム・色彩の音楽・恍惚の音楽・神の音楽 等々
人によって様々だろう。
スクリャービンの10曲のピアノソナタは、彼の全生涯にわたって書かれており、
多分、好みは、分かれると思う。(以下は私が勝手に思っていることですよ)
ラフマニノフ等のロマン派が好きな人
1番・2番・3番がお勧め(1番なんか無名ですが、いいですよ)
神秘和音とロマン派音楽が結びついた音楽が好きな人
4番・5番がお勧め(5番が最高傑作という人も多い)
神秘主義が奥深くなり、恍惚感が得たいという危ない音楽が好きな人(笑)
6番・7番・9番・10番がお勧め
あれっ、8番が入っていない。
そうなのである。
8番のピアノソナタは、正直、難解だ。
この曲は、番号こそ、8番だが
実は、完成は、10番より後なので、
作曲者にとって、最後のピアノソナタとなっている。
曲は、他のソナタと異なり、神秘的な音楽が延々と続く。
飛び跳ねたり、フォルテになっても、短めで、恍惚感や快楽はない。
どちらかというと、夢の中をさまよっているような感じである。
作曲者の最後の作品といえば、枯れた境地の曲としてかたづける人もいるかもしれないが、
決してそういう作品ではないと思う。
(スクリャービン自体、人生の最後まで、神秘劇などの新しいものに挑戦していたのだから・・・)
神秘和音を用いた、旋律が、対位法的に何重にもかさなって、
時には、美しく、幻惑の世界がそこにある。
ある意味、絶対に、スクリャービン以外書けない音楽だ。
昔々聴いて、ふーん、と思って今まで聞き直していなかったのだが、
久々に聴いてこの音楽は、すごいと、認識を新たにした。
いやいや、たまには、聴かなくなった音楽も、もう一度聴くものです。
新しい発見がある。
ピアノソナタ第5番(スクリャービン) [スクリャービン]
さて、最近、公私共々いそがしく、音楽は、聴いているものの、
いろいろやることに追われて、なかなかブログを書く時間がない。
まあ、いそがしい時があれば、そのうち暇にもなるだろう。
(しかし、演奏会が終わるまでは、土日は、すべて練習だ。)
本当は、こんな時は、BGMにバッハや、フランス音楽を聴いて、心を休めればいいのに、
なぜか、こんな時に取り出したCDが、若くして亡くなったピアニスト、
スルタノフの日本ライブのCD。
とても、達者な腕前で、バリバリとショパンを弾いている。
(いやあ、革命なんか、飛ばしますよ・・・)
まあ、賛否ある弾き方だか、このCDには、
ショパンの他にラフマニノフのピアノソナタ第2番と
スクリャービンのピアノソナタ第5番も入っている。
この2曲は、とてもBGM的には、聴けない曲だ。
ということで、今日の音楽日記は、
ロシアの作曲家スクリャービンのピアノソナタ第5番である。
私が、最初にこの曲を聴いたのは、ホロヴィッツのレコードである。
その時は、カップリングのシューマンのピアノソナタ第3番と一緒で、
とても、とっきにくい曲だなあ、という印象だった。
さて、このスクリャービンのピアノソナタ第5番の、いいかげんな説明である。
・10分程度の一つの楽章からなり、スクリャービンの神秘的な響きが随所で聞こえる。
・なんといっても、最初のトリルとその後の上昇音型が印象的
・最初は、とっときにくいかもしれないが、はねるようなリズムや重厚で神秘的な和音の
連打など随所でピアニスティックな響きが聴かれ、よく聴くと、甘い旋律もある。
そう、この曲は、スクリャービンの10曲のピアノソナタの中では、私は、一番好きだ。
1番から4番までもとてもいいのだが、ちょっとショパン的だったり、
ロマン派かなあ、と思うとこが多い。
6番から10番までは、神秘和音とトリルを多用して、独自の世界を切り開いているが、
確かにとっつきにくい。
この5番は、スクリャービンの神秘主義とロマン派の音楽が
みごとに融合した傑作だと思う。
そして、ピアノの響き的にも、旋律的にも、
スクリャービンの頂点かもしれない。
是非、聴いてもらいたいし、それがためなら、
ちょっとだけでも自分のピアノで音を出してもらいたいなあ。
(本当に、とても、とても、響きがいいのですよ。)
でも弾く人は、少ないかもしれない。
(まあ、難しいもんね)
しかし、このスタルノフのスクリャービンは、なんと、豪快に弾いているのだろう。
私的には、もうちょっと、神秘的なところや、甘い旋律は、丁寧に弾いてほしいなあ・・・
(まあ、弾けない人は、なんとでも言うよな・・・)
しかし、豪快なこの曲というのも、おもしろい。
この曲からは、いろいろなイメージが頭の中に浮かぶ。
今日は、疲れているので、なにか、別の妖精の世界に入っているみたいだ。
スクリャービンの音楽には、危険な匂いもする。
いかんいかん、疲れている時に、スクリャービンはだめだ。
音楽に引き込まれていく。
ということで、今日の音楽日記は、このソナタのように唐突に終わりです。(笑)
おっと、次の曲は、ラフマニノフのピアノソナタ第2番だあ・・・
これまた、音楽に引き込まれていく。
あーあ、今日はシューベルトの室内楽あたりを聴くんだったなあ・・・
そう言えば、今日は、のだめ の16巻と デスノートの13巻を買った。
感想は、そのうち(って、音楽以外かかないような気も・・・)
練習曲 作品8-12(スクリャービン) [スクリャービン]
さて、先日、このブログの左側の部分にある、カテゴリーをちょっと変更した。
カテゴリー分けのはずなのに、ほとんどが【ピアノ】という分類だったので、
なんの意味もなさないような気がしたので、ピアノの中をさらに少し、分類してみた。
まあ、これを機会に、過去記事もよろしく。
(って、過去記事見る人いるのかなあ?あっ、過去記事へのコメントも、もちろんOKですよ。)
しかし、この変更をした時に思ったのだが、ピアノの記事の中で、
ショパンやリストやドビュッシーが多いのは当然だと思っていたが、
意外にシューマンがちょっと少ない。
さらに驚いたのが、私の好きなスクリャービンとラフマニノフのピアノ曲の記事は、
いままで、それぞれ一曲づつしか書いてなかった。
これでは、いけない(きっぱり)
ということで、今日の音楽日記は、ロシアの作曲家スクリャービンのピアノ曲である。
スクリャービンの曲は、最初の頃は、ショパン風の聴きやすい音楽だが、
後半になると、神秘和音を用いた、
とても不思議だが、とてもイマジネーションがわく音楽となる。
初期のショパン風の曲も、後期の独特の神秘的な曲も、どちらもすばらしいが、
今日は、初期の代表的なピアノ曲、
練習曲集作品8 から、第12番の曲を紹介しよう。
スクリャービンは、ピアノの名手だった。
(音楽院では、同級生だった、あのピアノの名手で作曲家のラフマニノフが第一席で卒業。
スクリャービンは、その時の第二席だったそうだ)
そのため、初期の作品では、ピアノならではという曲を数多く作曲している。
この練習曲集作品8は、全12曲からなり、ショパン風の曲が数多く含まれている。
しかし、楽譜を一目みれば分かるが、ほとんどの曲で、右手と左手のリズムが違う。
(右手が八分音符で、左手が三連符とか、その逆とか、またまた、
右手が五連符で、左手が三連符とか、・・・まあ、私には、絶対無理ですな(笑))
このリズムのズレは、スクリャービンの初期のトレードマークである。
(もちろん、後期のトレードマークは、あの不思議な神秘和音ですね。)
さて、【練習曲集 作品8 第12番】である。
この曲を聴いたことの無い人がいて、
ショパンの【革命のエチュード】や、
ショパンの【前奏曲集の第24番】が好きな人がいたら、
ほぼ確実に、高い確率で、このスクリャービンの曲も好きになるだろう。
そう、この曲には、ピアニスティクな激情の音楽が流れている。
それに、最初は、劇的な主題が、左手の大きなアルペジォに乗って歌われるのだが、
後半は、分厚い和音連打の中で歌われる。
外面的な演奏効果もすばらしい。
名ピアニストホロヴィッツが好んで、生前、アンコールで弾いた曲でもある。
スクリャービンは、後半、作曲技法が、
神秘和音などのふしぎな感覚の曲に移っていった為、
初期のショパン風の曲に関しては、一般的な評価はなぜか低い。
なぜだろう。その評価は、ちょっと違うと思う。
純粋に音楽だけを聴いてもらいたい。
そこには、これぞピアノ曲という、王道をいくピアノ曲の宝物がいくつもある。
スクリャービンの初期の作品は、もっと弾かれてもいいと思う。
(ただ、ちょっと難しいのですが・・・)
これからは、この作曲家の前奏曲やマズルカなども紹介していきたい。
(でもですね、後期の不思議な曲も、ある意味すごいです。イメージがわいてくる音楽です。)
交響曲第1番(スクリャービン) [スクリャービン]
さて、昨日のブログで、26日のN響の定期演奏会でのメインの曲
スクリャービン作曲の「プロメテウス」のことを書いたが、
メインの曲だけ書くのは、非常にしのびない。(笑)
ということで、今日の音楽日記は、その時の演奏会で、演奏されたもう1曲である。
その曲とは、同じロシアの作曲家スクリャービンの作曲した、交響曲第1番である。
さて、この曲、本当に無名なので、ちょっとだけ解説すると、
・モスクワ音楽院の教授時代の作品で、作曲家の初期の時代の作曲である。
・全体で、6楽章からなり、50分以上の大曲である。
・最後の楽章には、メゾソプラノとテノールの独唱と、合唱がはいる。
(あれっ、あまり解説になっていないような気が・・・)
さて、曲であるが、私の個人的感想としては、
・スクリャービンの初期のピアノ曲と一緒で、かなり、ショパン風の曲である。
(というより、ショパンのピアノ曲をオーケストラで演奏したらこんな曲だろうな。
実際、フランセという作曲家がショパンの前奏曲集をオーケストラ編曲しており、
CDでもそれは聴けるが、実際そんな雰囲気である)
・さすがにこの曲は、この作曲家の代表曲とは、いえないだろう。(そりゃそうだ(笑))
・それに最後の合唱の歌詞は、「芸術に栄光あれ!」とかなんとか、かなり恥ずかしい
歌詞だし、また音楽も、かなり仰々しく、ちょっと恥ずかしい音楽である。
・ショパン好きな人が、オケを聴いてみたかったら、かなりいけるとは、思うが、
さすがに50分は、長い感じがするだろうな。
ということで、
この曲の演奏が終わった時、頭では、全然別のことを考えていた。
それは、独唱者(メゾソプラノとテノール)のことである。
この曲、独唱者が歌うのは、最終楽章だけだが、
二人の独唱者は、最初から、指揮者の横にずっーと40分程度座っているのである。
曲を聴いている途中でも、
「あーあ、暇だろうな」とか思ってしまった。(ごめんなさい)
そして、やっと、最終楽章で立ち上がって、ちょっと歌うと、
途中からは、独唱者の歌は、なくなり、合唱とオケだけになる。
そして、最後まで、指揮者の横に、ずっと立っているが、
その後、独唱者の歌は、ないのである。
スクリャービンさん。やはり、芸術のためとはいえ、独唱者がかわいそう・・・。
パーカッションとかは、長い長い曲で、ほんの数小節だったり、一回だけだったりしても、
ステージ奥だからいいけど、独唱者は、指揮者の横に座っているので、かなり目立つ。
独唱者は、大変だ。
私だったら、独唱者は、第5楽章が終わってから入ってきてもいいかなあ。とも思う。
しかし、音楽の流れが止まるとか、いろいろあるんだろうなあ。
なんて、勝手に、こんなことを書いてはいるが、
独唱者は、あんがい、なんとも思っていないのかもしれない。
(本当のとこ、聴いてみたいな)
うーん。私なら、指揮者の横に40分間じっと座っているだけでも
とてもとても、がまんできないな。(指揮したくなりますね(笑))
スクリャービンの交響曲第1番をこれから聴く機会は、それほどないと思う。
ということで、色光ピアノの「プロメテウス」も含めて、
この演奏会は、貴重なものだったと思う。
プロメテウス(スクリャービン) [スクリャービン]
さて、今日は、アシュケナージ指揮・NHK交響楽団の定期公演を聴いてきた。
そのメイン曲が、このスクリャービン作曲のプロメテウスだった。
そして、その演奏は、世界初の試みを企てたものだった。
その前にこの作品について、ちっょとまじめに解説してみよう。
(たまには真面目に書きました。ちゃんと読んでくださいね(笑))
・この曲は、ロシアの作曲家スクリャービンが、作曲した最後の管弦楽曲である。
・作曲者の後期の特色である全曲が神秘和音といわれる独特の和声でできている。
・この曲は、管弦楽と独奏ピアノと合唱とオルガンと色光ピアノからなる曲である。
・色光ピアノは、厳密には存在せず、初演時も省略された。
・色光ピアノというのは、鍵盤を押さえると、色だけがでるピアノである。
(重要なのは、色光ピアノから出る色は、通常の舞台上の照明の意味ではなく、
純粋にオーケストラの中の演奏楽器の音としての色なのである。すなわち、
この曲の場合、色と音は、同一の意味である。その為、この色光ピアノは、
鍵盤を押しても、色しかでないが、ちゃんと、スコアの五線紙にパートとして書いてある。
ちなみに、C(ド)を押さえると、赤の色がでる。)(ちょっと難解・・・・)
・管弦楽とピアノと合唱とオルガンの音に光を加えた一大スペクタクル大曲である。
まあ、曲の紹介を長々と書いてしまいましたが早い話が、
現代曲風のピアノ協奏曲風管弦楽に、色彩がついた曲。
とでも思っていただけるとわかりやすい。(うーん、だいぶ違うけど、まあいいか)
いままで、この曲は、演奏にあたって、色光ピアノのパートは、
省略されるか、又は、通常の舞台照明で代用するか、簡単な発光鍵盤装置にするか
だったそうである。
今回のアシュケナージ指揮・NHK交響楽団の定期公演は、YAMAHAの協力を得て
スクリャービンの考えたであろう、色光ピアノを実際に制作(!)しての演奏だったのだ。
舞台後ろのスクリーンに色光ピアノが演奏(!)する色が現れ、それだけでなく、
客席にも、色が降り注ぐ。
そして、最後は、白い衣装の合唱団も現れ、
まばゆいばかりの光が音と共にホールを包みこむ。
というものであった。
さて、今日の演奏の感想だが、
「曲の演奏を聴くというより、芸術の体験をする」
という感じだった。
いやいや、正直に書こう。
どういえばいいのだろうか、
一つのすばらしい芸術であることはまちがいない。
しかし、色彩は、音なのだろうか?
私のような凡人には、色を音として、とらえることが出来ない。
どうしても、今回は、後方のスクリーンの色を見てしまう。
(ディズニー映画のファンタジアの聴き方ですね。)
管楽器、弦楽器、ピアノ、合唱は、混ざって音に聞こえるが
色は、照明でしか見えない。色の音が聞こえない。
これは、難しいと思う。
この曲は、芸術作品としては、超一流だろう。
スクリャービンの考え方もすばらしい。
しかししかし、その考え方が、聴衆にわかるか、というと難しい問題だと思う。
(すいません。私にわからないだけかもしれません。)
単に、舞台照明で、この現代風で神秘的な曲のプロメテウスのイメージを
わかりやすく説明しようというのであれば、
それはそれで、照明により、かなりわかりやすくなる。
しかし、色光ピアノの演奏した色を音としてとらえろ、ということであれば、
なかなか難しいのではないだろうか?
しかし、そうは言っても
CDでこの曲を聴くより、
断然、今日のステージでの演奏の方がすばらしいと感じたのは事実である。
このようなチャレンジある演奏会は、是非今後とも続けていってもらいたいものである。
そのうちに、私もひょっとしたら、色に音が聞こえる日が来るかもしれない・・・(多分ないな)
(R・コルサコフは、色に音を感じ、ラフマニノフは、色に音を感じなかったそうだ。)
左手の為の前奏曲と夜想曲(スクリャービン) [スクリャービン]
先日のラフマニノフに続いて、今日もロシアの作曲家である。
スクリャービンといえば、後期の作風である、神秘的な曲の作曲者として知られており、
神秘和音の響き(例えばド・ファ♯・シ♭・ミ・ラ・レ・ソの和音)を用いた曲で有名である。
確かに、後期のピアノソナタや、炎に向かって 等には、独特の緊張感と神秘感があり、
この作曲家の代表作だろう。(ちょっと、初めて聴くにはとっつきにくいと思う)
しかし、初期のショパンの亜流と言われている作品の中には、
ピアノ協奏曲や作品8の練習曲集等、美しい作品は、数多くある。
その初期の作品の中で、私が好きな作品の中に「左手の為の前奏曲と夜想曲」がある。
(作品2-1の練習曲とどちらにするか迷ったけど)
通常、左手の為に書かれた作品の中には、ゴドフスキーの作品の様に、左手だけで、
技術的に、どこまで出来るかみたいなことを追求する作品もあれば、
(もちろん、それはそれで、私は好きだ)
この曲の様に、特に左手のみということを意識せず、純粋に音楽を書いた曲もある。
当然、この曲を両手で弾いても曲の価値が下がるということもないだろう。
(まあ、普通は当然、左手だけで弾きますが・・・)
確かに、スクリャービンが手を痛めた為に出来た作品だし、この曲のおかげ?で、
ピアニストとしてのスクリャービンには、「左利きのショパン」というキャッチコピーもあったそうだ。
しかし、前奏曲も夜想曲も旋律は、文句なく美しい。
特に夜想曲の美しい旋律は、ラフマニノフ以上だ。
かなり、音域の広い和音が連続するので、邪道かもしれないが、
片手で弾けなければ両手で弾くことを、お勧めする。この曲の良さがわかると思う。
(もちろん、私の技術では、左手だけでは、全く弾けないので、
弾いて楽しむ時には、両手をところどころ使って楽しんでいます。(いいのかなあ))
この曲は、逆に左手の為に書かれたということで、損をしているかもしれない
左手だろうが、両手だろうが関係なく、普通の曲として、聴いてもらいたいなあ。