祝典序曲(ショスタコービッチ) [ショスタコーヴィチ]
うーん、なんでかなあ。
昔は、音楽を聴けば結構、元気が出たのになあ。
と思っていたら、
昔々、「元気が出るクラシック」なるカセットテープ
を自分で編集して作ってよく、車で聴いていたなあ・・・
もちろん、カセットは最近聴かないけど
あるのかなあと、ごそごそ探してみたら、あった。あった。
ははは、懐かしいなあ。
ちなみに、このカセットテープの中に入っている曲は
・祝典序曲(ショスタコービッチ)
・四季より秋(グラズノフ)
・道化師(カバレフスキー)
・ルスランとリュドミラ序曲(グリンカ)
・ウェーバーの主題による交響的変容から行進曲(ヒンデミット)
・交響曲第6番よりフィナーレ(ショスタコービッチ)
ははは、いやあ、派手な曲ばっかりだあ。
今聴いたら、ちょっと元気が出る前に、疲れるかも・・・(笑)
それにショスタコが5番でなく6番というのがなかなか
しかし、頭が冴えない時は、こんな派手な曲から
聴くのもいいかも知れない。
ということで、今日の音楽日記は、
ショスタコービッチ作曲の祝典序曲です。
この曲、派手ですよね。
わかりやすいですよね。
気持ちいいですよね。
そう、深刻さは皆無
ファンファーレが響き、
第1主題は軽快。第2主題は朗々と歌われ
最後の大団円まで、爽快です。
こんな曲も書ける
ショスタコービッチは、天才ですね。
さて、久々に聴いたけど、
音の洪水に結構疲れた ははは。
交響曲 第6番 ロ短調 作品54 (ショスタコーヴッチ) [ショスタコーヴィチ]
今日の音楽日記は、
ショスタコーヴッチ作曲 交響曲 第6番 です。
ショスタコーヴッチの交響曲で、一番有名なのは、
間違えなく、交響曲第5番→過去記事はこちら。
で次は、第7番[レニングラード]→過去記事はこちら。
かな? (1番、8番、10番という人もいると思うけど)
で、第5番と第7番に挟まれている
第6番は、一般的には、どうなんだろう?
多分、そんなに有名でないかもしれません。
私、この曲を聴いたのは、
ムラビンスキー指揮のレコードで、
最初に聞いた時から、とっても好きな曲です。
(演奏は素晴らしかったけど、
確か最後のティンパニーのチューニングが微妙だったかな(笑))
曲は、3つの楽章からなっています。
第1楽章
最初の弦で演奏される重厚な旋律は、とてもとても
感動的で、なにかこう、訴えかけるような強烈な印象をもっています。
幻想的なんだけど、深みをもった音楽で、引き込まれるものをもっています。
第2楽章
作曲者得意のスケルツォです。明るくて、短く聴きやすい。
それでいて、ちゃんと、次の楽章とは、まったく違うイメージで作られています。
第3楽章
私がこの交響曲で、一番すばらしいと思っている楽章がこの楽章です。
速度はブレスト。すばらしい踊りの音楽で、心がわくわくします。
私、なにが、すごいと思っているかというと、
ブレストで、この踊りの主題で、第1楽章のあの重厚な楽章から
ちゃんと、交響曲のフィナーレとして、十分成り立っている音楽を作曲している
というところです。
普通の作曲家だと、フィナーレにしては、ちょっと軽いよなあ、
となる所が、そうならない、熱狂的な音楽となっている所がすごいです。
さて、この交響曲、本やネットなどで読むと
ベートーベンの5番と6番の対比と同じと書いてあったり、
室内楽的な響き と書いてあったり、
田園的と書いてあったりする。
うーん、私のイメージは、どれも違います。
室内楽的でもないし、ましてや、田園的でもありません。
(本当かどうかわかりませんが、作曲者は、春の喜び といったとか・・・)
私は、純粋な音楽として、すべての楽章が有機的につながった、
構成美あふれる純交響曲だと思っています。
ショスタコーヴッチの交響曲では、聴きやすいこと間違えないので、
是非聴いてみてください。
交響曲 第7番 レニングラード(ショスタコービッチ) [ショスタコーヴィチ]
グーグルのページの上が、カンディンスキーの絵ぽくなっていた。
えっと、思ったら、12月16日は、カンディンスキーの誕生日。
うれしいなあ。私と同じ誕生日たったんだ。
(ちなみに、ベートーベンも12月16日)
カンディンスキーは、画家で抽象絵画を始めた人として有名だけど、
初期には、とっても綺麗な絵も描いている。
私の大好きな画家の一人です。
ちょっとばかり 私の持っているポストカードの写真をのせましょう。
すごくきれいな絵から、楽譜模様の抽象絵画、
ピアノのコンサートの絵は、どれだかわかりますか?
で、家の居間には、
ちゃんとカンディンスキーの絵(もちろん本物ではないですよ(笑))
もかかっているのです。
で、昔は、
クラシックのレコードやCDのジャケットには、カンディンスキーの絵
が使われていることがよくありました。
そういえば、ショスタコービッチの交響曲全集に、使われていたなあ・・・
ということで、今日の音楽日記は、
ショスタコービッチ作曲の交響曲第7番レニングラードです。
ショスタコービッチの交響曲は、第5番を以前書いたけど、
あまり、曲の背景を考え過ぎると、
なかなか、純粋に音楽に入りこめません。
⇒第5番の過去記事は、こちら。
交響曲第7番も、当時のドイツとの戦争意欲を高める為の曲だとか、
いやいや、当時のロシアの政府のあり方も批判しているとか、
いろいろあるけど、
背景を考えすぎると、なかなか、難しい。
(まあ、いろいろ考えるのも面白いですが)
曲を聴いてみよう。
曲は、4楽章からなり、1時間を越える大曲です。
第1楽章
曲は、堂々とした主題で開始されますが、
なんと言っても、特徴的なのは、この中間部ですよね。
行進曲風の主題が、打楽器のリズムに合わせて、何回も繰り返され
クレッシェンドして、破壊的な頂点で、最初の主題が再現する。
この部分が、好きか 嫌いか で、
この曲が好きかどうかが決まるかもしれない。
初めて、この曲を聴いた時に、
なんて、単純な主題なんだ
みたいに思ったのを覚えている。
(チチンプイプイのCMで有名になったけど)
第2楽章
とっても、ショスタコービッチらしいスケルツォの音楽ですね。
第3楽章
ロシアの大地をイメージすると、なにかに書いてあったけど、
確かにそんなイメージです。
合唱で演奏したら、いい雰囲気かもしれません
第4楽章
この楽章は、なんというか、とっても派手です。
ベートーベンの運命と同じリズムも随所にでてきます。
最後の方は、第5番と似ている所もあるけど、
派手さからいったら、こちらの方が上です。
管弦楽の最大音量がこれでもか、という程、圧倒的に出てきます。
さて、この曲の一般的な評価ですが、
あまり、いい評判は聞きません。
あまりに、外面的だとか、
交響曲と言うには、緻密な構成がないとか、
1楽章は、ボレロの二番煎じとか、
音楽で訴えたいことが、直接すぎるとか、
・・・
まあ、でも、ある程度、ごもっともかもしれません。
私もこの曲、あえて、聴こうという時は、かなり少ないと思います。
ただですねえ、
私、この曲、一回だけ、実演で聴いたことがあるのです。
結構昔のことなので、正確には覚えていないけど、
日本のオケでした。
第3楽章で、うつらうつらしたけど、
第4楽章で、もう、無茶苦茶にブラスを鳴らし、
打楽器が、これでもかと、フォルテで鳴らして、
それは、それで、爽快でした。
実演で、そんな風に演奏されると、快感です。
この曲は、実演にかぎります。
で、出来れば、緻密でない演奏で、荒々しい演奏で聴くと、
この曲の一般的な評価なんか、どこかとんでいくと思います。
それに、あの第1楽章のマーチだって、
あれは、あれで、あれだけ、思い切って、作曲するのは、なかなかのものです。
また、実演で聴いてみたいなあ。
そんな曲があってもいいかも知れません。
交響曲 第5番 ニ短調(ショスタコーヴィチ) [ショスタコーヴィチ]
さて、昨日は、モーツァルトのことを書いた。
とすれば、今日は、今年のもう一人の顔である、
ソ連の代表的な作曲家ショスタコーヴィチを書くしかない。
(今年は、モーツァルト生誕250年と同時に、ショスタコーヴィチ生誕100年ですね)
さて、ショスタコーヴィチの何の曲を書こうかと思った。
ピアノ曲の24の前奏曲とフーガもいい曲だし、弦楽四重奏もすばらしい。
ジャズ組曲や、ピアノ協奏曲も楽しい。
しかし、まずは、この作曲家の代表作であり、最大の問題作である
【交響曲第5番 ニ短調】を今日は、書くことにしよう。
(あーあ、しかし、この曲のこと書くのは、難しいなあ・・・)
有名な曲なので、説明不要かも知れないが、
ちょっとだけ、この曲の解説をすると、
・4楽章からなる交響曲で、全体的に非常にわかりやすい。
・「苦悩から歓喜」「闇から光」というわかりやすい構成。(ベートーベンの運命と同じ構成)
・第一楽章の苦悩、第二楽章のすばらしいスケルツォ、第三楽章の美しさ、
そして、特に四楽章は、すばらしい行進曲風の楽章であり、吹奏楽でも人気がある。
・しかし、問題は、作曲者の知人が書いた「証言」という本である。
昔々、私は、クラッシック音楽を聴き始めて、結構すぐ、この曲と出会った。
当時は、【革命】との俗称で呼ばれ、
すごくかっこいい交響曲と単純に思った。
「生きる喜び」と言われた、第四楽章のトランペットとティンバニーには、惚れた。
すばらしい曲だ。派手な演奏にあこがれた。
レコードは、何回も聴いた。
その後、例の作曲者の知人が書いた「ショスタコーヴィチの証言」という本がでる。
その本は、いろいろなことが書いてあるが、
この曲に関しては、作曲者の意図しているのは、
第四楽章は、「生きる喜びの勝利の行進曲」ではなく「喜びを強制された悲劇の行進曲」だ。
と書いてあるそうだ。
そう、この本によると、この曲は、当時のソ連の政治体制を批判した曲だという解釈だ。
これには、当時、ショックだった。
今まで、感じてきた曲のイメージが一気に180度変わってしまったのだから。
(そう、スターウォーズの1・2・3を見たら、ダースベイダーのイメージが変わったの
と同じですね(オイオイ))
そう、それから、しばらくは、この曲を聴いても純粋に感動しなくなった。
何度聞いても、ひっかかるものがあった。
こんないい曲が、なんで、強制された喜びなのだろう・・・・
そう、そうして、この曲とは、遠ざかっていった。
音楽は、難しい。
曲がもっている本来の音楽だけを楽しめればいいのだが、
どうしても、人が作曲したものだ。
音以外にも、その時代背景や、思想などの意味が入ってくる。
ショスタコーヴィチだけでない。モーツァルトやベートーベンやワーグナーだって、
どの作曲者にもそれがある。
純粋に音楽だけを楽しめれば幸せだと思うのだが、
そうはいかない。
すべてひっくるめての音楽芸術かもしれない。
でもですね、幸せなことに、現在は、私は、この曲を楽しく聴くことができるようになった。
それは、以下の理由による。
・どう聴いても、私には、終楽章に向けて、「苦悩から歓喜」に聞こえる
・わかりやすい旋律・構成。やはり、誰がなんと言おうと、最後は、かっこいい
・なんにせよ、作曲者の強い意志をかんじさせる曲であるのは間違いない。
・それならそれで、いいじゃないか。という悟りですね(笑)
もし、自分が管弦楽の指揮者だったら(オイオイ)、まちがいなく、
なんといわれようとも、「苦悩から歓喜」の解釈でやるだろう。
(ははは、素人のこわいもの知らずの解釈ですね(笑))
それに、よく調べて見ると、「ショスタコーヴィチの証言」という本は、
ほとんどが虚偽の記述だという意見が大半を占めているらしい。
(本当の結論はでていないらしいが・・・)
しかし、こうなってくると、音楽を聴くのも大変だ。
こんな音楽の聴き方は、正直、この曲だけにしたいものだ。