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アレグロ・バルバロ(バルトーク) [バルトーク]

娘の塾の数学の勉強につき合った。
うーん、小学生といえども難しいぞ・・・
あれっ、この図形の問題は、どうやって解くんだ???
一応、お父さんは、理工系の人間だ。
いかんいかん、このへんで、威厳を見せておかねば・・・・
あれっ、わからない。どうしよう。
ええい、わからない時は、別の事に逃避だあ・・・
こういう時は、娘に別の質問をして、逃げてしまおう。

父「ところで、数列の1・1・2・3・5・8・13 の次にくる数は、なんだ?」
 (ははは、小学生には、すぐわかるまい、ふふふ・・・)
娘「あっ、21 でしょう。知っているよこの数列。前の数を足していくんだよね・・・」
父「正解です。よく知っているねえ(オイオイ、なんで、知っているんだ?)」
娘「常識、常識、ところで、図形の問題、まだわからないの?」
父「・・・」

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さて、話変わって、
今日の音楽日記は、ハンガリーの大作曲家ベラ・バルトークが作曲した、
ピアノ曲【アレグロ・バルバロ】である。

皆さんは、ピアノ曲になにを求めますか?
ピアノの音色?では、どんなのが好きですか?

多分、多くの人は、
 ピアノの優雅な旋律、ピアノの速いスケール、ピアノの華麗な技巧パッセージ
 ピアノのどっしりとした響き、サロン風の楽しさ、対位法を駆使した気持ちのいい音楽
                等々
だと思う。しかし、ピアノを打楽器のように叩きつける曲も、
場合によっては、一種独特の興奮があるかもしれない。
(きっと、ダメな人は、ダメでしょうね(笑))

しかし、ピアノを打楽器的に使用する曲では
鍵盤を叩くことから、肘打ちや、かかと落とし?的な奏法まで、
現代では、なんでもありである。

しかし、2本の手そして、10本の指で、打楽器的にピアノをあつかう曲の中では、
(まあ、普通の奏法の中でということですね)
この【アレグロ・バルバロ】は音楽史の中では、
ピアノを打楽器的に扱った、初期の作品だろう。

この曲は、バルトークが、1911年に作曲した、短いピアノ曲で、
とても、野性的で、力強い音楽だ。
【バルバロ】という曲名は、【野蛮な】という意味からきているらしい。

曲は、両手オクターブの交互和音で始まり、
旋律は、どれも断片的で、アクセントが、強烈に付く。
途中、弱くなったりするが、基本的には、野性的な音楽である。

さて、こういう曲は、好き嫌いは、分かれるとこだろう。
私は、音楽に関しては、八方美人的な所があるので、(すいません)
たまには、こういう曲を聴くのも好きだが、
嫌いな人は、嫌いだろうなあ・・・

さてさて、冒頭の会話である。

1・1・2・3・5・8・13・21・34・・・・・
と続く数列をフィボナッチ数列と呼ぶ。
(前2つの数を足していくのですね)

実は、バルトークの音楽には、このフィボナッチ数列を用いた作品が多くある
そして、それをもとにして、作曲をした。という説を唱える学者がいる。
(フィボナッチ数列だけでなく、黄金比もという説らしい。)

そう、例えば、この【アレグロ・バルバロ】は、
F#mの両手交互の和音連打が、特徴的に何カ所か現れる。
何小節間、この和音連打が、続くかというと、
5小節・8小節・5小節・5小節・3小節・13小節・8小節となる。
見てもらえば、わかるように、すべてフィボナッチ数列の数である。

まあ、こういうことが、他の曲にもあり、こういう説の根拠となっているらしいが、
本当かなあ、
なんとなく、バルトークの作品のイメージとは、違うんだけどなあ・・・
バルトークの音楽は、確かに理知的だが、感情も結構むき出しのような・・・

まあ、学者は、それなりに研究して、学説をだすので、
それは、私なんかの考えより、説得力があると思う。
しかし、
私のいいかげんな結論は、そんなことは、ない。という結論である。

えっ、根拠ですか?

根拠と言われると、すごく貧弱なのですが、
この曲【アレグロ・バルバロ】は、
作曲者自身が、自作自演で、ピアノを弾いた録音がある。
(ナクソス・ミュージック・ライブラリー で聴けます)
ちょっと聴いてみよう。

あれっ、あの特徴的なF#mの両手交互の和音連打の小節数が、違うぞ
5小節・7小節・5小節・5小節・3小節・12小節・8小節となっている気が・・・
(オイオイ、数列で音楽を作っていたら、少なくともこの部分は、ちゃんと弾くだろう・・・)

そう、バルトークの自作自演では、あまりこの小節数を気にしていないのである。

ということで、バルトークの作曲技法とフィボナッチ数列は、関係ないのではないかと・・・

ははは、根拠は、ないです。いつものように、勝手な解釈です。
気にしないでくださいな。
本当のとこは、どうだなんて、作曲者しか知らないですよね


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ルーマニア民俗舞曲(バルトーク) [バルトーク]

さて、昨日に続いて、今日の音楽日記は、ハンガリーの作曲家バルトークである。
(リクエストもあったので・・・)
基本的に、ピアノの小曲が好きな私であるが、
大作曲家のピアノ曲は、私にとって、多くは、実際に弾いて楽しむには、とても難しい。
その点、教育用に書かれた曲で、音楽性にあふれた曲は、
ピアノで、弾いていて、技巧的に易しいが、とても、楽しい場合が多い。

バルトークは、大作曲家であったが、音楽の教育者としても有名だ。
そして、教育用だが、結構大人が弾いても、楽しめるピアノ小品を数多く書いている。

今日は、そんな中の一曲、【ルーマニア民俗舞曲】である。

全部で6曲からなるこの舞曲集は、バルトーク自身が収集した舞曲を基に書かれている。
長くて、1分強、短いものは、数十秒からなる、全6曲である。
右手も左手もオクターブ以下の和音であり、弾きやすい
(でも、結構、左手なんかは、跳躍がある。)

第1曲・・・【棒踊り】。ゆっくり弾くと、なにか日本のゆっくりした民謡をイメージする。
      左手の低音が、棒を叩く音らしい。男性の力強い舞曲。

第2曲・・・【帯踊り】。この音階好きだなあ・・・(レから始まるドリア調)

第3曲・・・【足踏み踊り】。右手の装飾音がかっこよくひけないと、さまにならない。
      ものさびしい踊りだなあ。

第4曲・・・【ブチュム人の踊り】。ピアノ独奏より、弦楽合奏の方が合うなあ
      叙情的な旋律。

第5曲・・・【ルーマニアのポルカ】。とても快活。おもしろい。

第6曲・・・【速い踊り】。この曲からは、イメージできないが、求愛のダンスらしい。へぇ・・・

まあ短い曲だし、伴奏と旋律は、はっきり分かれているし、
イメージも人によって、かなり違うと思う。
それに、バルトークは、何回もこの曲の速度指示を変更しているらしい。
(一曲目は、最初は、四分音符=80 だったのが、104までなったらしい。)

ルーマニアの自然を頭で思い浮かべても、みんな違うんじゃあないのかなあ。
ということで、各自、自由に弾いて楽しみましょう。
速くったって、遅くたって、テンポがゆれてもいいじゃあないか(笑)
(でも、管弦楽ではそういう訳にいかないか)

この曲は、元々ピアノ曲だったが、作曲者自身の管弦楽編曲を始め、
いろいろな楽器に編曲されている。
単純な曲だけに、編曲したいろいろな版を聴き比べるのもおもしろい。

最後に、この曲の作曲者自身の演奏について書いてみよう。
バルトークは、ピアノ演奏の録音をかなり残している。
(ナクソス・ミュージック・ライブラリー で聴けますよ)
もちろん、この【ルーマニア民俗舞曲】も録音している。

その演奏を聴くと、第1曲目の【棒踊り】の低音などは、かなり、あっさりしているし、
結構、テンポは、ゆれている。
(最後の6曲目などは、指がからまっているように聞こえるのだが・・・)
楽譜通りに弾いていない場所もある。
まあ、作曲者自身の演奏が一番よいわけでは、けっしてないのだが、
一回は、聴いてもいい演奏だと思う。

そこからは、作曲者の思いが、聞こえてくる。

しかし、自分で実際にピアノで弾くと、自分のイメージ通り弾けない自分にがっくりくるのです。
(頭の中では、理想の演奏が、鳴っているのですが・・・ははは)


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ピアノ協奏曲 第3番(バルトーク) [バルトーク]

さて、この音楽日記は、一年以上書いてきたが、
有名な作曲家なのに一曲も書いていない作曲家が何人かいる。
(決して嫌いな訳ではありません)
という訳で、今日は、ハンガリーの作曲家バルトークの作品である。

さて、バルトークという作曲家だが、
私は、昔、クラッシック音楽を聴き始めたころは、誤解していた作曲家の一人だった。
(かなり、昔の話です。)

確か、最初に聴いたバルトークの作品は、
【アレグロ・バルバロ】という作品で、
打楽器的なピアノ奏法全開の曲で、
次に聴いたのが、【ピアノ協奏曲 第2番】で、
これまた、ピアノを叩きつけるような演奏だった。
そして、自分の頭の中で、バルトークという作曲家は、
野性的で、エネルギッシュな民族系作曲家というイメージが長い間、作られていた。

しかし、バルトークの弦楽四重奏曲を聴いて、私のイメージは、一変した。
ある意味、すごい音楽を書くなあ、と心から思ったことを覚えている。
その後、この作曲家のいろいろな曲を聴いたが、
どれも、音楽が純粋で、緊張感と、安らぎと、遊び心が、
絶妙なバランスでとれていると思う。

そんな中で、なんの曲を書こうと思っていた。

小学生の娘がインフルエンザにかかったので、土曜日は一日中、家にいた。
BSのテレビで、昼間、クラッシック音楽を5時間にわたってやっていたので、
ワーグナーの曲をマンドリンオケ用に編曲をしながら、ずっーと聴いていた。
その中で、バルトークのピアノ協奏曲第3番の二楽章が演奏されていた。

これだ。

そう、バルトークのピアノ協奏曲第3番は、私の好きな曲なのだ。
ということで、今日の音楽日記は、バルトーク作曲の【ピアノ協奏曲第3番】である。
(いやあ、今日の前書きは、長いなあ・・・)

この曲、モーツァルトのような曲と言われることもあるが、
私は、そうは、思わない。
あくまで、バルトークの純粋な音楽だと思う。

第一楽章・・・最初に出る、単純明快な旋律は、単純でハンガリーの民族的ではあるが、
       とても、惹きつけられる、旋律だ。
       透明な音楽で、とても安らげる楽章だと思う。
第二楽章・・・とても緊張感あふれる音楽。そして透明な音楽。
        ピアノ協奏曲では、このイメージは、めずらしい楽想だと思う
第三楽章・・・明快な音楽で、エネルギッシュだが、遊び心もあり、
       演奏効果もある楽章である。

そうこのピアノ協奏曲は、普通にBGM的に聴いても、なんら違和感は無い。
しかし、聴けば聴くほど、
バルトークの音楽にかける純粋さ、とでも言おうか、
イメージというより、心に響く音楽だなあ、と感じる。

この曲は、バルトークが白血病になり、病との戦いの中で書かれている。
一楽章が書かれ、二楽章が書かれ、
妻と息子が病床で手伝いながら、第三楽章を書いていたが、
残り、18小節を残して、バルトークは、この世を去った。
あと、一日あれば、完成していたかもしれない。
最後の18小節は、弟子が補筆し、完成させたが、
三楽章の最後を聴くときに、どうしても、この話を思いだしてしまうのである。

そんな話があるので、よけい、この三楽章は、エネルギッシュな曲想なのに、
なにか、心にしみいるのかもしれない。

バルトークの三曲のピアノ協奏曲の中では、私は、一番好きな曲だ。

さて、今日、マンドリンオケの練習で、
このブログを読んでいる数少ない楽団員から、
「バルトークのルーマニア民族舞曲をリクエスト」と言われた。
はいはい、私は、リクエストには、答える人なのです。
ちょっと待っていてくださいね。


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