遮られない休息(武満徹) [武満徹]
さて、先日のブログで書いたように、今日は、日本のピアノ曲を書こうと思う。
日本の作曲家のクラッシック音楽のCDもいろいろと発売されるようになったので、
今まで、聴けなかったいろいろな種類の邦人音楽が聴けてうれしいかぎりである。
(CD購入のお金がかかるが・・・・涙)
さて、今日は、なんのピアノ曲にしようか?
先日、本当に残念ながら、亡くなった指揮者の岩城宏之さん
(この人の本は大変おもしろいです。)
が20世紀の代表する三人の作曲家は
「ストラビンスキー・バルトーク・武満」と言っているのを思い出した。
そうだ、今日は、日本の作曲家、武満徹作曲のピアノ曲
【遮られない休息】を書いてみよう。
この曲は、以下の三曲からなっている。
1.ゆっくりと悲しく、語りかけるように
2.静かに残酷な響きで
3.愛の歌
ちょっと、現代音楽風の響きで、多分、とっつきにくい音楽だと思う。
私も最初に聴いた時は、なんだか全然わかんなかった。
さて、この音楽の感想の前に、私が現代風の音楽を嫌いでなくなった理由を説明してみよう。
(たいしたことではないのですが)
クラッシック音楽を聴き始めたころは、古典派や、ロマン派の音楽が好きで、
現代音楽の響きは、はっきり言って嫌いだった。
少しすると、さも現代音楽が分かる顔をして、友達と話をしていたが、
心の底では正直よく分からなかった。
多分、そのころ(若い頃ですね)は、個々の音楽に表現みたいなものを求め、
この音楽は、何々を表している とか、
この音楽は、こんな構造で、こんな理論だ とか、
この音楽は、こんな作曲家の人生を表している とか、・・・
なにか、音楽に、理由がなければいけない気がしていたのだと思う。
現代音楽の響きに、理由がつけられなかった。
私は、絵が好きで、よく展覧会に行くが、
いつだったか、
あの抽象絵画の大家であるカンディンスキーの絵に夢中になってしまった。
カンディンスキーの絵(特に後期)は、色彩とイメージで感動する。
なになにを書いたとか、なになにを表現している ということは無い。
音楽にも、別に理由をつけず、音色とイメージをもっと大切に聴いてみよう
と思ったのは、この時だった。
それから、現代風の音楽も、拒絶反応なく聴けるようになった。
(もちろん、現代音楽にもいろいろあるので、好き嫌いはありますが・・・)
ということで、もとに戻って、武満徹作曲の【遮られない休息】である。
タケミツトーンと言われる独特の響き、メシアンの和音の影響、
とか言われているが、音楽の勉強をしていない私には正直よくわからない。
それに、この曲の基になった詩を読んでも正直よくわからない。
しかし、そんなことは、どうでもいいのだ。と思う。
そんな聴き方があってもいいのだと思う。
CDから流れるこのピアノ曲を夜聞いていると、
なにもにも代え難い、緊張が私を襲う。
3曲とも2分程度の曲だが、とてもとても、休息の時間ではない。
この響きと、休符の緊張
まるで、悪魔のように細心に、天使のように大胆に
という言葉を思い出す。
そう、そういう音楽だと思う。
楽譜が手元にあるので、自分でちょっと弾いてみたが、(単に音を出してみただけです。)
この曲は、弾くより、聴く曲だと思う。
けっして、いつもいつも聴く音楽ではない。
でも、たまには、体験してもいい音楽だと思う。
ワールドカップと一緒で、4年に一度は、聴いてもいいなあ。
(武満さんごめんなさい。もっと聴きます(笑))