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交響曲第7番【青春】(プロコフィエフ) [プロコフィエフ]

さて先日、プロコフィエフのピアノ小品集「つかの間の幻影」を書いたが、
プロコフィエフの作品の中で、私は、すごく好きな曲がある。
それが、交響曲第7番である。(たまには、小品でなく、大曲も書かなくっちゃね・・・)

プロコフィエフの交響曲は、全部で7曲あり、
パロディ的な第一番、現代的な響きの第2番~第4番、
恐ろしく豪快で派手で緻密な第5番、ちょっと変わった第6番のどれも、いいと思うが、
第7番は、その作曲の背景と、その美しさを考えると、涙してしまう。

この交響曲を聴いたことがありますか?
この交響曲は、プロコフィエフのトレードマークともいえる
鋭角的なリズムや、暴力的な音や、初期の現代的な響きは皆無である。
あまりにわかりやすく、あまりに美しく、あまりに楽しい(そして悲しい)交響曲の為、
「過去の音楽」という批評も多い。(作曲年代は、なんと1952年)

この曲は、4楽章からなっている。
第一楽章・・・始まりの第一主題もすばらしいが、第二主題は最高に甘美。
第二楽章・・・チャイコフスキーのバレエを思わせる、わかりすいワルツ
第三楽章・・・とてもとても美しい、ゆっくりした音楽
第四楽章・・・楽しい音楽だか、最後に第一楽章第二主題が再現する所は、感動的。

最近は呼ばれないが、昔は、この曲には、【青春】という副題が付いていた。
この副題は、プロコフィエフの妻か、作曲者自身か誰が言ったかわからないが、
作曲者自身の青春を描いたものというところからきている。

さて、ロシアの近代音楽家、プロコフィエフ・カバレフスキー・ショスタコービッチ・ハチャトリアン等の
曲の評価は、難しいと言われている。
どうしてもそこに、当時のロシアの政治体制がからんできて、
その当時の政治体制に合った音楽であり、
わかりやすい音楽を書かされただけだ、という評価がある。

しかし、よく考えてみて欲しい。
モーッアルトは、当時の貴族を喜ばすための曲を多く書いているし、
バッハは、当時の教会の為に数多くの曲を書いている。
作曲家は、好む好まないを関わらず、そりぁ、自分の周りの環境に左右されるだろう。
芸術のみを追求して、他のことはまったく影響しない方が少ない。
というより皆無だろう。

クラッシック音楽は、また、制約の音楽だと思う。
そりゃ、なんでもありの芸術は、おもしろいのは間違いない。
しかし、なにかの制約の中で、どれだけ芸術的なものが書けるかも、醍醐味だろう。
(ちょっと違うかもしれないが、左手だけという制約があっても、
 ラベルの左手の為のピアノ協奏曲は、傑作だろう。)

当時の作曲について、プロコィエフ自身は、
「複雑な曲を書く方が、簡単な曲を書くより、やさしい」とか、
「高い音楽性を持った、簡単な曲を作るのは、難しい」とか、
言っている。

当時のロシアの政治体制から言われた、
社会主義リアリズムにあった、わかりやすい音楽の中で、
どれだけ芸術上の高い音楽性をもった音楽ができるか、苦悩したことだろう。
この交響曲第7番を作曲していたころは、プロコフィエフは、
病気でかなり具合は悪く、初演された1952年の翌年に没している。

そんな環境の中で、この簡素な美しさを持った交響曲が書けたのは、天才だろう。

この曲の中で、私が特に好きな場所は、
なんといってもあの美しい主題が、第一楽章第二主題が終楽章で、再現する所である。
そして、静かな冬の厳しさのような終わり。(まあ、別の終わり方もあるが・・・)
この最後の部分で、じーんとくるのである。

映画音楽的だ、俗っぽすぎる、時代に合っていない、等と言う批評は、あるだろう。

しかし、私は、この曲こそ、作曲家プロコフィエフの最後の最大傑作だと思っている。

今日の音楽日記は、なかなか真面目な文章になってしまった。
まあ、たまには、いいか・・・


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