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幻想曲 ハ短調 K475(モーツァルト) [モーツァルト]

さて、モーツァルトのピアノ音楽と言えば、
イメージは、どんな感じだろう?

優雅・軽快・無邪気・お茶目等々・・・

しかし、そんなイメージから遠く、
強固で、意思が強く、自由で、力強い 音楽もある。

それが、今日の音楽日記の曲
モーツァルト作曲のピアノ曲【幻想曲 ハ短調 K475】だ。

この曲は、K457のピアノソナタの前奏曲として、あるべきだ。という人と、
いやいや、独立した曲だ。と言う人がいるようだが、
そのへんは、研究者にまかせよう。
とにかく、モーツァルトのピアノ曲としては、異質な響きと構成を持っている。

曲は、ユニゾンのフォルテで、不気味な旋律と、それに応答するやさしい動機で始まる。
この部分からして、この曲は、ただものではないという雰囲気だ。
そして、この主題が展開された後、優雅な歌がくる。
しかし、それは一瞬で、アレグロの嵐と、
モーツァルトらしからぬ、自由なカデンツァがくる。
アンダンティーノのモーツァルトらしい部分が突如、続き、
再び、新しい動機での嵐となり、最後は、冒頭の部分に復帰し、
ハ短調のスケールで、いきなり、終わる。

と、曲の構成を延々と書いてみたが、
まったくまとまりがない。
幻想曲というより、構成的には、即興曲だ。
しかし、曲の内容は、重い・・・

モーツァルトがどうして、この曲を書いたのかわからない。
しかし、モーツァルトだって、こんな曲が書きたい時が確実にあったと思う。
この曲は、そのときの感情をピアノにそのまま、ぶつけたのかもしれない。

しかし、これだけ、支離滅裂な動機と構成ながら、
なにかしら、訴えてくる曲になっており、
曲に引き込まれるのは、さすがに天才の作曲だ。

さてさて、この曲も、あのグリーグがピアノ二台用に再編曲した版がある。
(ピアノ・ソナタの編曲もありますよね)

グリーグのモーツァルトの二台ピアノ版は、モーツァルト好きな人からは、
批判を浴びることが、多い。
あの天才モーツァルトのピアノ曲に、第2ピアノの対旋律をつけて、
なにか、異質なものがまぎれこんでいる、と言う人もいるだろう。
(この意見は、否定はしません。でも、私は、こういう編曲は好きです)

しかし、この幻想曲 ハ短調の、グリーグの2台用編曲は、曲が曲だけに、
結構楽しめる。
幻想と混迷がさらに深まっているのです(笑)

まあ、興味のある人は、ぜひ聞いてみてくださいな。


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コメント 6

Cecilia

記事にしてくださってありがとうございます。
この曲は遊びでしか弾いたことがないですが、K457は結構弾きこみました。
グリーグの編曲、興味があります。

モーツァルトの重い曲・・・と言えば、何と言っても「ドン・ジョヴァン二」の序曲、地獄落ちの場面・・・ですね。
「アマデウス」でレオポルトが出てくるところで使われたので、そのイメージも強いです。
by Cecilia (2007-09-09 10:04) 

みどりのこびとちゃん

Ceciliaさん。コメントありがとうございます。
そう、 Ceciliaのコメントにちょこっと、この曲のことが書いてあったので、
なんとなく、もう一度、ちゃんと聴いてみたのです。

最近、マイナーなピアノ曲とともに、
めずらしく、オペラのDVDも見はじめています。
【こうもり】 なんて、すごく、おもしろい。
今度、ドンジョバンニも見てみます。
(実は、序曲しか知らなかったりして・・・)
by みどりのこびとちゃん (2007-09-09 23:57) 

なるたる

モーツァルトの音楽の「光と影」、と言うものを考えてみました。
多くのモーツァルトの旋律が、長調の愉悦に満ちたロココ風味の色付けをされていて、天真爛漫、天上の音楽のように純粋で混じり気がなく、虚心に音そのものの歓びに浸れるものであるとすれば、もう一方は少数ながら極めてシリアスで荒々しく、感情の振幅が極めて大きく、言わば剥き出しの情念が生(き)のまま吹き付けて来るような生臭い音楽と言えます。
片方が中性的で無色透明ならば、もう片方は明らかにマイナスの色彩を帯びたような音楽の存在が厳然としてある。

面白いことに、これらは殆どが短調です。
今回の曲もまさにそれに相当します。
最近、モーツァルトの「Fantasias & Rondos」と言うCDを購入して聴いたのですが、やはり短調の曲はこちらがたじろぐほどのマイナスの情念・感情の奔流を示して唖然とさせられます。

いったいどちらが真のモーツァルトなのか?
私は、優雅なロココ趣味の中に隠された、暗鬱で激烈な情念の噴出こそが
案外彼の本質なのかもしれないと思ったりします。
一方では食べるために彼の書き散らかした、只管明るく天国的な作品群と、それらとの相対するような一連の真摯な作品群。
多分モーツァルトはその両者の間を行ったり来たりしながら、感情のバランスを取っていたのではないか、短調の曲こそが真実の吐露であるとの思いを絶えず抱きながら…。

光があればこそ影は一層凶悪な輝きを放つ、そんな気がいたします。

因みに私は、この感情剥き出しの短調の作品の方が、圧倒的に共感を覚えます。
多くの人がモーツァルトの短調の魅力に取り憑かれるのも、そこに借り物ではない、心の叫びを聞くからなのかもしれません。
by なるたる (2007-09-25 01:34) 

みどりのこびとちゃん

すべての物には、【光と影】があるとは、よく言われます。
モーツァルトの二面性もそれで、
どちらか一方が優れている訳ではないと思います。
まあ、両方があってこそ、すばらしい音楽なのかもかと・・・
by みどりのこびとちゃん (2007-09-25 23:30) 

Bunchou

はじめまして。
思うところがあったのでコメントさせていただきます。

確かにモーツァルトの短調の曲って彼の同時代人、例えばクレメンティの短調音楽と比べてもなお、なにか得体のしれないパワーがあると感じます。
ただ、優雅・軽快・無邪気・お茶目や「ロココ」という言葉で説明されてきた他の音楽にも、実は情感豊かであったり、パワフルであったりするものもかなりあると思うんです。
まあ、モーツァルトに限らずですが、古典派音楽って偏見にまみれ過ぎているような気がしてなりません。
決して行儀の良い、お稽古用の音楽ではないはず。
ですが、残念ながら今のピアノではあの時代の音楽の形式感と情熱を両立させることは難しいのかもしれないですね。
by Bunchou (2007-11-28 02:39) 

みどりのこびとちゃん

Bunchou さん。コメントありがとうございます。
そうですね、音楽に限らず、なんでも、二面性は必ずあると思います。
既成概念で、判断するのは、あぶないですよね、
しかし、音楽にとって、
形式感と情熱の両立は、見果てぬ夢かもしれません。
難しいです。はい
by みどりのこびとちゃん (2007-11-28 23:05) 

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